FU-RIN-KA-ZAN

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ビバ、村上龍

(土曜日の昼下がり)
前にも書いたけど、村上龍にどっぷり浸っている。なんでだろうと考えてて、少し分かった気がした。村上龍は1年の大半を海外で過ごす。「3週間日本にいるとおかしくなりそうだ」なんて下りがあったりする。彼のエッセーは外から客観的に日本を見た指摘に溢れている。

4年という短い間だったけど、アメリカ留学中に日本を外から見る機会に恵まれた。そして、帰国して日本の心地よさに浸っている自分への漠然とした焦り。居心地は良いんだけど、何だかユックリと溶けていくような、緊張が無くなっていくような気持ちがあるんだよね。

心に村上龍のストレートな表現が染み渡る。「日本は大好きなんだけど、長くいるとヤバイ気がする場所」っていうオレの葛藤。それに賛同して背中を押してくれる内容が彼の文章には詰まっている。日本をケナシながら、村上龍は日本が大好きなんだよね。海外に行くと、逆に日本の素晴らしさに気づくことも多々あるし。良くなって欲しいと思わないとこんな危機感を喚起するエッセーを書く気にもならないはずだ。

一番不思議なのは、村上龍の人気。彼の文章(特にエッセー)には外から日本を見た経験がないと共感できないと思うんだけどな。もしそうでない日本人も共感しているとしたら、日本人の感受性もまだまだ敏感なのかもしれない。薄々と違和感を感じている人たちは多くいて、村上龍の文章がそれに対しての一つの答えを示してくれているということなのかな。

村上龍の本を借りに図書館に行ってきます。
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働きすぎ?

中高時代からの友達のMの素朴な疑問・・・
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科学技術の進歩でこれだけ生産性が上がってるのに、なんで労働時間が減らないんだろう。ケインズは、21世紀の初頭には私たちは週15時間程度働けばすむようになる、と予言した。(参考: 働くということ、ロナルド・ドーア)
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次のように考えてみた。
まず、GDPの計算にも2通りあるように生産と消費は表裏一体。
経済全体の生産 = 労働力×労働時間×生産性
経済全体の消費 = 人口×一人当たりの消費

少子高齢化から、労働力の伸び / 人口の伸び<1.0
つまり、(一人当たりの消費の伸び / 生産性の伸び)>(労働力の伸び / 人口の伸び)である限り、労働時間は上昇してしまう。

産業別に考えてみた。サービスがより知的集約性の高い産業だとすると、能力の高い人の数はそう変わらないはずなのに、高い能力を必要とする仕事が増えていることになる。つまり、能力の高い人の労働時間が延びる。

能力の高くない人は、提供できる労働力の相対的な付加価値の低下から賃金が下がる。でも、消費レベルを落とすことは非常に難しい。つまり、生活レベルを維持するために、以前より労働時間を増やすのかもしれない。

「格差社会」ってマスコミは不満げだけど、別に誰が得をしている訳でもない気がするんだよね。それが不思議。

どう思います?

恋愛・・・うーーーん

誰にでもできる恋愛 誰にでもできる恋愛
村上 龍 (2000/01)
青春出版社


「誰にでもできる」ってくらい恋愛が簡単な物に勘違いされてるよっていう、逆説的な題名。2000年の本だが7年後の現在に通じる内容も多く、格差社会への見通しなど、経済についての洞察など非常に鋭い。人間を描写する目があると、こうも色々な物が見えてしまうのかと思うと興味深い。結局のところ経済も人間の営みに過ぎない。

以下、抜粋。
成功者=仕事へのモチベーションを持ち、充実した人生を持っている人のこと。自分に自信がある男か、または自信を生む何かをきちんと目指している男でないと恋愛なんかできない。自立していないと誰かと関係性を持つことはできないのだ。

個人主義が進む中、全くその通りの展開になっているように思う。といって、「じゃあ、どうすれば自信を持った成功者になれるのか」について教えられた経験もない気がする。社会の需要と供給のミスマッチ。これこそが真の問題なのかもしれない。社会のニーズが情報化社会に乗って報じられる中、焦りを煽られた供給できない人々の行動は??自分磨きなどに走って、結局は根本的な解決に至ることは少ないような気がするんですが、如何でしょう。いや、自分自身に言っているんですがね。

竹中平蔵

オープンしたばかりの東京ミッドタウンで、メリル・リンチの投資フォーラムに出席した。ゲストスピーカーは、政府税制調査会会長の香西氏と竹中氏。仕事とはいえ、個人的にも興味深い話を聞けることは、機関投資家の福利厚生だと思う。感謝。

以下、竹中さんの話から。。。
エネルギッシュ。参加者が引き込まれているのが分かるほど話が上手い。時間をかけず、テンポ良く核心をついて意見を述べる。要するに頭の回転が早い。その際、必ずといって良いほど身近な数字や事例を引用するのでイメージがつかみやすい(郵政民営化で1500回答弁したのは過去最高とか、東京駅近くの一等地で郵便の仕分けをやっていること自体がおかしい、など)。決して大きくは無いが、クリッとして澄んだ目。センスのいい服装。どれほど小泉さんの影響を受けたのかは分からないが、非常に高いコミュニケーション能力を持っており、小泉さんと同様、その能力が改革に不可欠だったことは間違いないように思う。パネルディスカッションでアナリストと並んだときなど、その存在感の違いは歴然としていた。いや、イェスパー・コールはキャラからも負けてはいなかった。

竹中氏は、改革には必要なものが二つあるという。「大胆にして繊細」
1、リーダーのパッション。小泉さんは、「郵政民営化ができれば死んでも良い」といっていたらしい。
2、戦略は細部に宿る。当たり前のことを一歩一歩やっていくだけで、逆転ホームランなどありえないのは経営も同じこと。
(3)、その後の話で目標設定の大切さも上げていた。つまり「郵政民営化」という壮大な目標に到達するには、自然と他の改革も余儀なくされる。そのような象徴的かつ現実的な目標を設定することで、分散された力が結集されて状況の打開が生まれると言いたかったようだ。

日本の現状を「癌患者が手術後に退院した状態」と表現。潜在成長率を高める大事な時期にさしかかっているという認識を示した。安部首相、パッションは充実しているとのこと。しからば、課題は2か。

アルバート・アレシナーという経済学者の「所得水準の高い国には小国が多い」との指摘も興味深かった。小さな国ほど経済を開放する必要性があり、結果的に競争優位を持つ産業の育成につながっているという。逆に自国内需要がある程度あれば、保護主義の台頭につながるということだ。スイス、リヒテンシュタイン、シンガポール、香港などがその例。人口が1億人以上のアメリカや日本は例外的であり、高成長をつづけるアメリカは例外中の例外という訳だ。しかし、国の規模は歴史的な背景がある訳で、それが本当に決定要因なのかは少し懐疑的だ。

「心を亡くしてます」と自己申告するとき

「日本語で素晴しいのは漢字だ。漢字成り立ち辞典が大好きだ」とは、大学時代の友人Lの発言。新潟で英語教師をしながら、日本語もグングン上達している。

「お忙しい中XXX」、「忙しいからXXX」。最近、あまりに多用される忙しいって言う単語が大嫌いになった。「心を亡くす」と書くからだ。「忙しい」と口にする瞬間、そこには一種の満足感・充足感が生まれたりするんだけど、それは亡くなっていく心の痛みを和らげるモルヒネのような物か。「忙しいって、俺は仕事してるな~」なんてくだらない錯覚に陥る自分も情けない。

重要な順に「心技体」は並んでいると思う。
その一番に来ている心を、亡くしてますと自己申告する「忙しい」という単語、使うまいと決心した。日本語って(ベースの中国語が素晴しいだけかもしれないけど)良くできてるよね。

柔軟性なんて破って捨ててしまいたい

「俺たちって変に柔軟だから不幸だよね」と中高以来の友人Mが言った。有名進学校に通って受験戦争を勝ち抜き、社会に足を踏み入れての感想がこれだ。

言い得て妙。入社面接なんかで強みとして「柔軟性」や「対応力」を上げる人がいるが(自分もその一人なんだけど)、そういうのはこれから全部落とそうと思う。この前の書き込みにもつながるけど、現代の情報量に正面から太刀打ちすることは不可能だ。じゃあ、どうするのか。浅く広く構えるところから作戦を変更して、一部を深く深く、底が見えないくらいの穴を掘って待ち構えるしかないだろう。流行を追って点々と穴を掘ってみたところで、どの穴にもその後情報が溢れることはない。

村上龍の言葉を借りれば、「情報によらなければ、オレ達は生きていけない。(中略)さて、自分だけの情報なんて、どこにあるのでしょうね。(中略)ない。必要なのは、オレは、こだわりだと思うね。(中略)自分のスタイルを持って、変えなかった奴だけが情報を得て、快楽を得る。」村上龍も下手な柔軟性の非難をしてるんだろうな。

もろん、柔軟性を極めるんだとなると話は別。一番危険なのは俺のように、「俺って柔軟だし上手く立ち回れるかも」なんて思っていながら、全てが中庸に終わってしまうこと。この結末は最悪だ。

村上龍と情報と

村上龍を読んでいる。
何ともなしに仕事を休んだ金曜午前、最寄の区民図書館に初めて足を踏み入れた。正確を期すと踏み入れたのは2回目なんだが、1回目は借りるためのカードすら作らなかったので、図書館に行く目的を達成したとは言えない。
3月下旬の陽気の中、少し古ぼけた図書館には少し古ぼけた本棚に少し古ぼけた本が並んでいて、これまた少し古ぼけた人々が行き交う、それこそ「地元」を強く感じる所だった。自由が丘から徒歩15分であることや、トレンディな子連れ親子から支持を集める地域であることは、少なくともその図書館から推察することは難しい。

図書館の利点の一つは、作家ごとに作品を一覧で認識できる点にあると思う。紙の辞書が電子辞書に勝る点でもあるが、俺はまだまだアナログだ。著者の他作品との関連性や大まかな作風などについては、背表紙を眺めているからこそ飛び込んでくるものであり、アマゾンやWikipediaの作品目録などから同様の効果は期待しがたい。

村上龍だ。これほど女性についての洞察に力を入れている作家だとは知らなかった。とはいえ、小説家とはストーリーを伝える職業であり、ストーリーは人間=男女が作るもの。男性作家の村上龍が女性の分析に力を入れるのはしごく最もなこと、いや、むしろ必須なのかもしれない。
女性の力を認めながら、どうしようも無いオスの行く末を憂う。そんな筋書きながらも、男への同情(見下されてるだけ?)なんかも感じられる、不思議な文章。淡々と、しかし深刻に話が進んでいく。

すべての男は消耗品である すべての男は消耗品である
村上 龍 (1993/09)
集英社


エッセー形式の中、鋭い文章が続く。
「もっとも恐ろしいのは、忘れられることだ。ある情報が明らかになり固定され完全にいきわたると、世間は急速に冷えて、あっという間に忘れようとする。」(P.113)
という論調が繰り返されたのが印象的。

この枠組みから情報について考えると、様々なものが見えてくる気がした。例えば、ブログは、個人が忘れられまいとしている行為なのではないか。人間はそうそう進歩できない。情報の入力が増えれば、結果は浅く広い情報だ。新しい情報が出てくれば、そそくさとそちらに軸足を移して、せっせと浅く広い知識を仕入れ続けなくてはならない。ヒット曲の交代、商品の陳腐化、全てが加速度的に早まっている。

インターネットは果たして人を幸せにしたのか?「あ、便利だな~」なんて思って使う人が増えるうちに、インターネットはより強力なものになり情報が加速された。強力にしてしまった当の本人たちが、今では忘れら去られまいとしてインターネットに依存する。人間の進歩の速度が技術のそれに追いつけるはずもなく、ますます人間への負荷が高まってしまう。そんな矛盾を持っているから、この世界は面白いのかもしれない。

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