FU-RIN-KA-ZAN

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「心を亡くしてます」と自己申告するとき

「日本語で素晴しいのは漢字だ。漢字成り立ち辞典が大好きだ」とは、大学時代の友人Lの発言。新潟で英語教師をしながら、日本語もグングン上達している。

「お忙しい中XXX」、「忙しいからXXX」。最近、あまりに多用される忙しいって言う単語が大嫌いになった。「心を亡くす」と書くからだ。「忙しい」と口にする瞬間、そこには一種の満足感・充足感が生まれたりするんだけど、それは亡くなっていく心の痛みを和らげるモルヒネのような物か。「忙しいって、俺は仕事してるな~」なんてくだらない錯覚に陥る自分も情けない。

重要な順に「心技体」は並んでいると思う。
その一番に来ている心を、亡くしてますと自己申告する「忙しい」という単語、使うまいと決心した。日本語って(ベースの中国語が素晴しいだけかもしれないけど)良くできてるよね。
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柔軟性なんて破って捨ててしまいたい

「俺たちって変に柔軟だから不幸だよね」と中高以来の友人Mが言った。有名進学校に通って受験戦争を勝ち抜き、社会に足を踏み入れての感想がこれだ。

言い得て妙。入社面接なんかで強みとして「柔軟性」や「対応力」を上げる人がいるが(自分もその一人なんだけど)、そういうのはこれから全部落とそうと思う。この前の書き込みにもつながるけど、現代の情報量に正面から太刀打ちすることは不可能だ。じゃあ、どうするのか。浅く広く構えるところから作戦を変更して、一部を深く深く、底が見えないくらいの穴を掘って待ち構えるしかないだろう。流行を追って点々と穴を掘ってみたところで、どの穴にもその後情報が溢れることはない。

村上龍の言葉を借りれば、「情報によらなければ、オレ達は生きていけない。(中略)さて、自分だけの情報なんて、どこにあるのでしょうね。(中略)ない。必要なのは、オレは、こだわりだと思うね。(中略)自分のスタイルを持って、変えなかった奴だけが情報を得て、快楽を得る。」村上龍も下手な柔軟性の非難をしてるんだろうな。

もろん、柔軟性を極めるんだとなると話は別。一番危険なのは俺のように、「俺って柔軟だし上手く立ち回れるかも」なんて思っていながら、全てが中庸に終わってしまうこと。この結末は最悪だ。

村上龍と情報と

村上龍を読んでいる。
何ともなしに仕事を休んだ金曜午前、最寄の区民図書館に初めて足を踏み入れた。正確を期すと踏み入れたのは2回目なんだが、1回目は借りるためのカードすら作らなかったので、図書館に行く目的を達成したとは言えない。
3月下旬の陽気の中、少し古ぼけた図書館には少し古ぼけた本棚に少し古ぼけた本が並んでいて、これまた少し古ぼけた人々が行き交う、それこそ「地元」を強く感じる所だった。自由が丘から徒歩15分であることや、トレンディな子連れ親子から支持を集める地域であることは、少なくともその図書館から推察することは難しい。

図書館の利点の一つは、作家ごとに作品を一覧で認識できる点にあると思う。紙の辞書が電子辞書に勝る点でもあるが、俺はまだまだアナログだ。著者の他作品との関連性や大まかな作風などについては、背表紙を眺めているからこそ飛び込んでくるものであり、アマゾンやWikipediaの作品目録などから同様の効果は期待しがたい。

村上龍だ。これほど女性についての洞察に力を入れている作家だとは知らなかった。とはいえ、小説家とはストーリーを伝える職業であり、ストーリーは人間=男女が作るもの。男性作家の村上龍が女性の分析に力を入れるのはしごく最もなこと、いや、むしろ必須なのかもしれない。
女性の力を認めながら、どうしようも無いオスの行く末を憂う。そんな筋書きながらも、男への同情(見下されてるだけ?)なんかも感じられる、不思議な文章。淡々と、しかし深刻に話が進んでいく。

すべての男は消耗品である すべての男は消耗品である
村上 龍 (1993/09)
集英社


エッセー形式の中、鋭い文章が続く。
「もっとも恐ろしいのは、忘れられることだ。ある情報が明らかになり固定され完全にいきわたると、世間は急速に冷えて、あっという間に忘れようとする。」(P.113)
という論調が繰り返されたのが印象的。

この枠組みから情報について考えると、様々なものが見えてくる気がした。例えば、ブログは、個人が忘れられまいとしている行為なのではないか。人間はそうそう進歩できない。情報の入力が増えれば、結果は浅く広い情報だ。新しい情報が出てくれば、そそくさとそちらに軸足を移して、せっせと浅く広い知識を仕入れ続けなくてはならない。ヒット曲の交代、商品の陳腐化、全てが加速度的に早まっている。

インターネットは果たして人を幸せにしたのか?「あ、便利だな~」なんて思って使う人が増えるうちに、インターネットはより強力なものになり情報が加速された。強力にしてしまった当の本人たちが、今では忘れら去られまいとしてインターネットに依存する。人間の進歩の速度が技術のそれに追いつけるはずもなく、ますます人間への負荷が高まってしまう。そんな矛盾を持っているから、この世界は面白いのかもしれない。

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